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海外だより

藤田にこ『食ッキング・食っきんぐ』

初恋の味 −ユミの思い出−

写真1こんにちは。いつも母が大変お世話になっております。娘のユミと申します。

本日、ぴっかぴかの小学一年生となりました。そうです、カナダ在住ですので、今が学年始めの時期となります。幸せの門出である本日、両親や友達への感謝の気持ちでいっぱいです。
愛溢れる今日は、一つ思い出話をご披露いたしたく、母のページを拝借することといたしました。少々おませ気味の私、おませだけあって、初恋は、生後3ヶ月の頃に遡ります。

胎児時代から誕生を経て生後4ヶ月まで、私はアフリカ大陸最西端の国セネガルの首都、ダカールで暮らしておりました。主な産業は漁業にピーナッツ。街を歩く人々は、色とりどりのカラフルな民族衣装に身をまとい、埃っぽい空気に潤いを与えてくれています。
経済的には大変貧しいこの国。生後1ヶ月を過ぎてからは、週末など、父の車に乗って、友人宅を訪れたり、買い物をしたりと移動するようになったのですが、車に乗っていて、交差点で停止するごとに、物乞いをする人々がこちらを目がけて押し寄せてきました。
ある場所には、7,8人の人がいて、ほとんどの人が車椅子に乗っていました。車椅子でない人も、松葉杖をついていて、足が一本しかありません。年齢層は幅広く、5,6歳くらいの少女からかなり高齢の男性まで様々でした。彼らは交差点で車が止まると、交替で車に近寄っていき、なんとまあ満面の笑顔を浮かべて手のひらを差し出します。信号が青になるまでの短期決戦。車に乗っている大抵の人はそっぽを向いたり、首を振ったりして断りますが、時には小銭を与える人もいます。なんとかそれで、彼ら全員が暮らしていけるようです。
他の交差点では、目の見えない老人を従えた、その娘らしき若い女性を見ました。また、「背の小さい人」と思ったら、実は上半身しかない人が手の力を使って歩き、やはり物乞いしている場面にも出会いました。私を抱っこした母には、特に同じように赤ん坊を連れた母親らしき女性が、自分の子供を指差しながら、哀れな表情を向けることもありました。そんな時は、母は手持ちの小銭を少しやっていました。
我々が買い物をしてもらうお釣り程度、それこそ10円、20円で1日生きられる人が大勢います。そのことを思えば、もっと協力してもよかったかもしれないのですが、一方で、バナバナ(道路上の物売り)や物乞いを装った強盗事件も多発しており、特に我々外国人は狙われやすいと言われていました。そんなことで、物乞いをやりきれない思いで見過ごすことが、我々の日常となっていたのです。

ところで、物乞いの中に、ちょっと毛色の変わった集団がありました。
それは6歳前後の少年達。皆一様に小汚いぼろ着をまとい、首から大きな空き缶を吊り下げています。その空き缶の中身はなぜか角砂糖。イスラム教の聖典であるコーランの一節を暗誦し、小銭をもらえれば、また暗誦します。実はこの少年たちは、ある程度裕福な家庭の子供なのです。それこそ、将来は、国の政治や経済をそのトップとして担っていくことになりそうな家の子も含まれています。この少年たちは、普通の小学校とは別に、イスラムのコーランを学ぶ学校に一定期間入り、寄宿生活を送ります。その間の義務がこの路上での物乞いなのです。にわか貧乏人となり、物乞いをする時の羞恥心を学ぶ。お金持ちに無視される辛苦を舐める。これが、将来逆の立場となって国を動かしていく際に、自分の利益ばかり求めず、ふと立ち止まって弱者に目を向ける為の原点となるはずだ、という理念から成り立っているそうです。
さて、その少年たちと、車の中で母の腕の中に抱かれている私は、よく目が合いました。 彼らは私を穴の開くほどじっと見ます。そして、「中国人」「赤ん坊」などと、仲間を呼びに行き、私を見つめる目は更にその数を増すのです。
ある時、丸坊主で目のくりくりした、マルコメ人形のような少年が、私をじっと見た後、首から下げた空き缶の中から角砂糖を一つとって差し出してきました。母は暫く考えて、窓を少し開け、
「ジェレジェフ(ありがとう)」
と言って受け取りました。少年はとても嬉しそうに笑顔を見せ、
「バイバイ、バイバイ」
と節をつけて叫び、信号が変わるまで、私にぴょんぴょんと跳躍しながら踊ってみせてくれました。そのジャンプの高さは、天性の筋肉のバネを感じさせます。
私も共に踊りたくなり、手足を必死に動かしましたが、実際はおくるみの中でもぞもぞとしただけでした。
信号が変わり、少年の姿がみるみる小さくなっていきましたが、私は暫くの間、その少年の軽やかな身のこなしを思い出していました。そして、母が受け取った砂糖を探したのですが、見つけたのは、ちょうど母が自分の口に砂糖を放り込んでしまったところだったのです。
恨めしそうに見つめる私に、母は
「ごめん、ごめん、まだユミちゃんには無理だから。はい、一粒ね」
と自分の唇に残った砂糖の粒子一粒を私の唇にそっと載せてくれました。ほんのりとしたかすかな甘さが、じわじわと唇全体に広がりました。そしてその甘さは匂いと変わり、鼻の穴から体全体に染み入っていきました。私はその甘さを少しでもよけいに味わおうと、深く、深く呼吸をしました。
もしかしてこれが、初恋の味というものなのだろうか。
そんな思いがかすめました。
もう会うことのないだろうあの少年の笑顔を思い浮かべて、喉の奥に残る甘さが、ほんの少しほろ苦くなるのを感じました。
今でも、あの少年があそこで物乞いをしているのか、それとも、裕福な実家に戻って私のことなど忘れてしまっているのか、それを確かめることができないまま、今に至っております…。