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海外だより

藤田にこ『食ッキング・食っきんぐ』

口中散歩







 いつも斬新で面白い催し物を企画してくれるPhiセンターから、またしても興味深い案内が届きました。その名も「In The Mouth」−口の中ー。副題は、Experiences Gastronomiques Improbablesーありえないような食体験ーとあります。「ありえないような」の言葉にドキドキしはじめた心臓を甘やかすべく、あえて下調べせずに出かけることとしました。

 入口にて早速、「FOOD + BODY = SYMBIOSIS」ー食べ物+人体=共生ーの文字が。そして、展示会の解説。こちらの展示会は、作家・プランナーであるNicolas Fonseca氏が企画したPoetic、詩的な展示会だそう。おお、詩を味わうように食に触れるということであれば、五感を総動員してハートを震わせて臨むということでよろしいのかな、そう思いながら読み進めた展示会の解説に、間もなく私は驚かされることとなります。







 この展示会は、シェフNunoの存在なしには語れません。Nunoは既にシェフとして活躍していた31歳の時、脳に異常を感じ検査を受けます。はたしてそのスキャン結果は・・・事実は小説より奇なり。頭部に写し出されたのは、腫瘍ではなく、発芽した一粒の豆だったのです。
 手術でこの豆を取り除くことには成功しました。けれどもこの手術以降、シェフNunoは、味覚異常となってしまうのです。正常に味覚を感じられないことで、ほどなくしてその他の感覚も、Nuno独特のゆがみを持ち始めます。
 味覚のみならずあらゆる五感に自信をなくしつつ、それなら自分はシェフとして今後どのように食に関わっていけるのかと模索するシェフNuno。そのNunoに注目したのが、科学者のドクター・Brigitte Hough女史でした。
 舌に異常をきたしているシェフNunoと共同作業で、ドクターBrigitteは科学的な実験を繰り返します。目隠しをして横たわるNunoが、食材の液体に全身まみれたり、口から溢れさせたりする映像は圧巻です。新しい実験をするたびに、Nunoが新しく繊細な体験をし、感動を味わい、食への愛を深めていることがうかがえます。
 この展示会は、Nunoが、五感のみならず、記憶や感情を総動員して食に向かい合う、ドキュメンタリーそのものになっているのです。







 会場内に、透明な瓶がいくつもぶらさがって通路を作っているエリアがありました。瓶にはキーワードが書かれています。「Good morning」「Cat」「Junk food」「Mother-in-law」「Make my day」「Sashimi」・・・書いてある文字を読むだけで楽しくなってきます。まさに言葉が自由に飛び交う「詩」の世界の散歩です。それぞれの瓶の中には、そのキーワードからシェフNunoが導き出した食材が入っています。思わずうなずいたのは、「Her lips」−彼女の唇ーの瓶に、いちご味のポッキー型お菓子が入っていたこと。蓋を開けて1本ずつ大事に食べるところを想像して、思わず笑みがこぼれます。







アンケートが実施されているコーナーも。薄型のコンピューターが置いてあり、回答を記入できるようになっています。横ではその質問回答集がスクリーンにも映し出されています。質問はといえば、例えば「ゆで卵ってどんな味?」。解答例は「公園でのピクニック」「パリのビストロ」「メンデルスゾーンの紡ぎ歌」「長距離ドライブ」等実に様々。皆さんなら、ゆで卵の味、どんな風に答えますか?







展示会場の奥に、Centre de pollinisationー受粉センターーと名付けられた扉が設置されていました。人が一人ようやく入れるほどの円柱形の部屋は、木で出来ていて、中に入ると、照明が落ち一瞬真っ暗闇になります。間もなくそこにかすかな光が射し、自然界の音色、虫の鳴き声や風や水の音が聞こえてきます。更には花や草木の生命力に満ちた香りまで、その風や水の流れにのって届いてくるのです。ちなみに、この香りを作ったのは、以前「Celeryが香る幸せの記憶」で御紹介した調香師、イザベル・ミショーさんです。
瞼を閉じて聴覚、嗅覚の心地よさを満喫すれば、「受粉」、つまり生命の誕生の瞬間に立ち会っていることに気がつくのです。2分ほどの体験ですが、心身がすっかり生まれ変わった気分を味わえます。







「生きとし生けるもの」こそが食であるということをあらためて認識させられる展示会。「共生」の継続のためには、そうした存在一つ一つへの尊敬の念が不可欠であることを痛感しました。そんな気持ちであらためて口に入れた、「生けるもの」のなんと新鮮で美味なことか。草木の育った土の香り、その土に命を預けていった生命たちのエネルギーに満ち満ちているように感じました。

 食材そのものの持つ栄養、歴史、効能などについて、我々が語り合うことは少なくないけれど、もっと個人的な関わり合いについて、例えばそれは遠い昔の思い出だったり、昂ぶる感情だったり、そうしたより深い部分にまで食との関わりを掘り下げることによって、シェフと食べる人とが作り上げていくメニューというのがあってよいのではないかしら。 そんな思いにさせてくれる展示会でした。

 まさに五感が洗われた展示会。そして不思議なことに、帰りの道すがら、詩が作りたくなりました。
そんな影響で、今回の文章が少々ポエティックな解説になっているやもしれませんが、どうぞ御容赦くださいませ・・・ 

https://www.inthemouth.ca/en/