23個はアフリカの味

藤田にこ『食ッキング・食っきんぐ』

幼い頃叔母に聞いた話がある。叔父とのお見合いの席上、向かいの叔父に「おいくつですか」と尋ねたら、「23です」と答えたので、叔父のコーヒーに23杯砂糖を入れてしまった、しかも叔父はそれをそのまま飲んでしまった、という話だった。「二人とも緊張してたのねー」と親戚一同大笑いした
しかし、この話が冗談では通じない人々がいた。アフリカ大陸の皆さんである。私は3年間、アフリカ大陸最西端の国、セネガルに滞在した。セネガルでは一日中、何かというとお茶を飲む。このお茶は「アタヤ」と呼ばれていて、中国茶を砂糖と共に煮詰めて、ミントの葉などで香りづけして飲む。この時入れる砂糖の量が半端ではない。そもそも角砂糖の大きさからして違う。1つが、幅2センチ、長さ10センチ、高さ1,5センチの、まるで幼児のお箸箱ほどの大きさなのだ。これを小さなティーポットに何個も入れ、茶葉と共にぐつぐつ煮立てる。セネガル人はもてなし好きと言われ、どこへ行ってもまずはこのアタヤを勧められる。
しかし、もともとコーヒー、紅茶をノンシュガーで飲んでいた私はどうしてもこのアタヤが飲めず、いつも、大量に放り込まれる砂糖を同情の眼差しで見つめるにとどまっていた。
セネガルに住み始めて数ヶ月が経った頃、私の体は厳しい暑さや慣れない生活習慣に疲れを見せ始めた。一日中頭が重く、お腹の調子も悪い。何より精神的にまいっていて、事ある毎に「ああ、パリは良かった」とため息ばかりついていた。
そんなある日の夕方、玄関の呼び鈴が鳴った。私がボランティアで教えていた日本語教室の生徒、リーバスが立っていた。
「コンバンハ、センセイ、アタヤ、ノミマショー」
見事な発音でそう言うと、右手に携えていたアルミ製の古びたティーポットを自分の目の高さまで掲げた。左手にはおちょこのような小さなグラスが二つ、ジーンズのポケットからは茶葉とミントの葉がのぞいていた。身長2m近いリーバスが掲げたティーポットを見上げると、ちょうど夕日が反射して見事なオレンジ色のグラデーションに輝いていた。その眩しさに、私は思わずアタヤを飲めないことを忘れ、
「はい」
と返事をしてしまったのである。
家に入り、リーバスはてきぱきと準備を始めた。ティーポットに茶葉とお水を入れ、ガスコンロの上にのせた。
「センセイ、サトウ、アリマスカ」
我が家にあるのは、コーヒー・紅茶用の小さな「普通の」角砂糖だけだった。
「1、2、3…」
リーバスは砂糖を数えながらポットに入れていく。覚えたての日本語を使って、とても嬉しそうな様子だ。
いつのまにか砂糖は次々に放り込まれ、ついに「23」まで到達し、それからリーバスは満足そうに砂糖の袋を閉じて返してくれた。
「随分たくさん入れたわね」
私は力なく言った。
「サトウハ、オイシイデス、アマイデス、ヤサシイデス、センセイ、ゲンキニナリマス」
リーバスは、私がアフリカでの生活に疲れていることに気付いていた。暗い表情の私を何とか元気づけようと、アタヤの用意をして、わざわざ訪ねてきてくれたのだ。
「センセイ、ドウゾ」
出来あがったアタヤを受け取ると、小さなグラスを通して、アタヤの温かさが手のひらにしみこんできた。私はリーバスの思いやりが嬉しくて、思い切って初めて、アタヤを一口飲み込んだ。途端に口の中一杯に砂糖の香りが広がった。一点の曇りもない100%の甘さが、喉から全身へ流れてすべった。そしてその砂糖の甘さにのっかっていた、リーバスの温かな気持ちが、私の疲労感をゆっくりと溶かし始めた。
「おいしい」
心からそう思った。リーバスは嬉しそうに、はにかんだ笑顔を見せてくれた。

この日を境に、私は砂糖たっぷりのアタヤが大好きになった。相変わらずコーヒー、紅茶にはノンシュガーでも、アタヤだけは、小さな角砂糖を必ず23個入れて飲んだ。そして、毎日アタヤを飲む度に少しずつ少しずつ、セネガルでの生活にも慣れていき、遂には積極的に楽しむことさえできるようになっていった。セネガルを去った今となっても、砂糖を手に取る度に、23個のアフリカの味、セネガルの優しいもてなしの味が喉の奥に湧いて出てくるような気がして、そっと、ごくりと唾を飲み込んでいる。