おふくろの味、母の薫り

藤田にこ『食ッキング・食っきんぐ』

セネガル生まれ、モロッコ育ちの娘にとって、故郷の味といえばオリーブの実、そしてクスクス。毎週金曜日の昼にはクスクスを食べる近所のモロッコ人達に、代わる代わる抱っこされながら覚えた幼少期の味。
その娘が先日、たまたま頂いたバラの花束に顔を寄せ、突然言い放った。
「これ、ママの味がする」

確かに私は、モロッコの代表的特産品の一つである「ローズウォーター」、バラ水を、新米ママ時代にその殺菌効果を期待してあらゆるものにふりかけていた。幼い頃の記憶に残る香りが、そのまま私の存在につながるものとして結びついているのである。

さて、私自身にも、おふくろの味、母の薫りが確かに存在し、長い年月を経た今でも、初めてその薫りを意識した日のことを鮮明に思い出すことができる・・・。
小学五年生の頃私は、クラスで一番仲のよい女の子からイジメを受けていた。その子の豹変ぶりについていけずに、とうとう私は体調を崩した。高熱が出、トイレに行くのも足元がふらついてたどり着けないほどだった。そんな私のただならぬ様子を見て、母は私を医者に連れて行くこととした。吐きたい、とつぶやく私を見かね、まだ病院にはかなりの距離を残すところで、母は私を連れてタクシーを降りた。そこから病院まで、急な上り坂が続く。歩けないよ、と首をふる私を、母がおんぶした。大都会東京の雑踏で、大きな子供を背負って歩く女性。スポーツとはからきし縁のない小柄な母にとって、何十キロもの荷物を背負って歩く坂道は、険しいことこの上ない。いつも明るくおしゃべりな母は、この時は無言で一歩一歩、小さな歩みを進めていった。小さな背中にしがみつき、朦朧とした意識の中で、ただ母の背中から届く、優しく温かい母のいつもの香りだけが、私に語りかけていた。

「あなたにどんなことがあっても、世の中の誰が何と言おうと、お母さんが必ず最後まであなたを守る」
母の香りに、私の涙と母の汗が同時ににじんでいった。湿ったブラウスの皺に刻まれた、母の香りの言葉を、私はゆっくりと、何度も読み返していた。おんぶの香りは、「無償の愛」そのものだった。やがて病から回復し、その後しばらく経ってから、新しい友人ができ、私は楽しい学校生活を取り戻していった。 

あれから25年以上が過ぎ、私の海外生活も13年となった。一時帰国の際に私が欠かさずやること、それは、当時から母が愛用しているセーターをこっそりとタンスから取り出し、顔をうずめながら「ただいま」とつぶやくことである。

おんぶの背中で母にもらった香りは、今や私の「心の故郷」の味そのものとなっている。