母のコーヒーは笑いたけ入り

藤田にこ『食ッキング・食っきんぐ』

海外で日々せわしなく過ごしていても、ふと手を休め、心をとめて、日本の両親を思い出すことがある。例えば日本茶を飲む時は、お茶が大好きな父のことを、そしてコーヒーを飲む時は、大のコーヒー党というわけでもない母のことを。こげ茶色のコーヒーを見ている私の瞼の裏に母の映像がよみがえってくるのには、実は訳がある…

私が小学4年生の時の話である。
胃潰瘍を患った母は、手術後の生活で、いやおうなしに口にするものを制限された。「週末のご馳走」だった分厚いステーキは、あっさり味のしゃぶしゃぶ風薄切り肉に代わり、エビフライに代わって白身魚の蒸し煮が食卓に並ぶようになった。 
そして、毎日母が、朝の掃除と洗濯が一段落すると飲んでいたはずの大好きなコーヒーも、いつの間にか台所の棚から姿を消していた。
当時小学生だった私は、それまでの長い間、コーヒーを「大人の飲み物」として羨望の眼差しで見つめ、その香ばしい匂いを味わうことのみ許されてきたのだが、ようやく、砂糖とミルクたっぷりの薄めのコーヒーを飲ませてもらえるようになっていた、そんな矢先の出来事である。

やがて母の胃も体力も回復し、時折分厚いステーキが食べられるようにまでなった。
ある日、私が学校から帰宅すると、ドアを開けた途端、ぷうんと懐かしい香りが漂ってきた。私は玄関から小走りに台所へ直行し、叫んだ。
「コーヒー?!」
どこにしまわれていたのか、長く姿を消していたアルコールランプが、「ぽこぽこぽこ」「シュウシュウ」と音をたてながら、往年の活躍そのままにコーヒーを作っていた。

「もう飲んで大丈夫なの?」
「薄ーく、薄ーくして飲んでみようと思って」
いたずらを見つかった少女のように、頬を少し紅潮させた母が、ぺろっと舌を出してみせた。
そのあどけない表情を見せる顔が、手術前よりも一回り小さくなっていることに急に気付いた私は、慌てて大きな声で言った。
「じゃあ、私も飲もうっと!」
現場を押さえられた母は、私に抗うこともできず、コーヒーカップを2つ用意した。できあがったコーヒーを少しずつ注ぎ、それから砂糖とミルク、それにポットのお湯をたっぷりと入れた。母と私は神妙な面持ちで並んで座り、一口飲んだ。また一口。もう一口。さらにもう一口。遂には全て飲み干してしまった。飲み干してしまった後も、何度となくカップに口をつけ、残り香を味わった。

そして、母がゆっくりと「はーあ、おいしかった」と言ったのを合図に、二人で笑い出した。くす、くすくす、えへへへ、うふふふ、おほほほ、あははは。理由はわからないが、何しろ楽しく、嬉しかった。幸せだった。こんな風にわが家を久しぶりに賑わしてくれたのは、2杯のごくごく薄いコーヒーだった。

あれから25年が経つ。この12年海外で暮らす私は、濃い目のイタリアン・エスプレッソを飲む度に「これぞ本物のコーヒーよ」と息巻くのだが、その後あの日母と飲んだコーヒーを思い出し、「ま、薄ーいのも悪くないけどね、うふふふ」と続けるのである。

「究極の美味しさ」というのは、実は一人一人違って当たり前だ。けれど、「究極にかぎりなく近い美味しさ」を、他の人と共感することはできるはずだ。この共感の輪が広がっていきそうなお店の発見とシェアリングこそ、フードアナリストの使命だと感じている。