国境を越えるコミュニケーションツールとしての「食」 神森真理子

日本フードアナリスト協会 神森真理子

ベルギー・フランスに約5年住んでいた経験から、幸せなことに私には世界中に友人がいます。世界各国出身の彼らとの共通言語は「フランス語」。とはいえ、ただフランス語ができるからといって、国籍も年齢も異なる彼らと自然と親しくなれるわけではありません。
それは日本人同士の関係でも同じこと。「互いに尊重し合い、共感しあえる何かがあるからこそ、人と人とのコミュニケーションは成立する」常日頃から私はそう思っています。
幼い頃から「国境を越えるコンテンツ」「文化」を扱う仕事をしたいと思っていた私は、音楽の道を志したり、映像の道を志したり…様々な可能性を模索しながら生きてきました。
そして今も、様々な活動を通じてそれに近いことが実現できるよう努力しています。
フードアナリストの仕事もそのうちの大切な活動のうちの一つです。

「食」には様々な効用があります。生命維持のためにあらゆる生物にとって必要不可欠なものとしての「食」。五感を刺激し、生活を豊かにし、幸せを与えてくれるものとしての「食」…そして私が強く意識しているのは
①「国境を越えるコンテンツ」としての「食」
②「人間関係を豊かにしてくれるコミュニケーションツール」としての「食」
という2つの面です。

この2つの「食」の効用を日常的に意識していたのは、パリ留学時代の寮生活中でした。当時私は、パリの国際大学都市という巨大な寮で世界各国から集まってきた若者たちと生活していました。互いに外国語である「フランス語」を通じてのコミュニケーションは、日常生活を送る上では何不自由ありませんでした。しかし一歩踏み込んで、互いに理解し、尊重し合える関係となるには言葉を越えた何かが必要でした。その大切な要素の一つに「食」「食文化」があったことを痛感しています。共同のキッチンで繰り広げられる「食」についての会話。互いの作る料理を味わったり、共に料理をして食卓を囲んだり…そうした「食」の時間の共有が、寮の仲間たちとの距離をぐんと縮めてくれました。

それぞれの国の料理を披露して多国籍の仲間たちと味わうとき、そこには「食を楽しみ、相手を受け入れ親密な関係になること」を超えて、「相手の国の文化を受け入れ、興味をもち、理解しようと努力する」そんな異文化交流の大切なきっかけがあったのだと私は思っています。夜毎繰り広げられる寮の仲間たちとの楽しい会話の中心には、いつも、おいしい食事やおいしいお菓子がありました。私たちはそんな「食」「食文化」の共有を通じて互いに歩み寄り、あっという間に、かけがえのない仲間となっていました。「食」を通じてのコミュニケーションによって、国境の壁を越えて私たちの関係はどんどん豊かさ・親密さを増していったのです。

もちろん、言葉が通じない間柄でも「共通のテーマ」を見出せるとき、そこには立派なコミュニケーションが成立しています。例えば外国人からホームパーティーに誘われたときに、日本食を持って行き、それを共に味わう。そんな、ささやかな食の共有体験が、人と人との距離を劇的に縮めてくれます。語学が苦手だと思っている方も、また堅苦しく日本文化について語るのは難題だと思っている方も、ごはんのおいしさ、お魚のおいしさ、旬の野菜のおいしさ…そうした日本食のおいしさや美しさや素晴らしさであれば、「食」を通じて、その感動の共有によって伝えることができるのではないでしょうか。

「日本食」は国境を超え、世界的に人気の高い、世界に誇れる文化です。パリでもロンドンでもNYでも…近年、世界中で日本食は評価されています。日本の食文化についての理解を私たち一人一人が深め、そしてそれに誇りを持つとき、それは広く「日本文化そのものに対する誇り」に通じています。そして外国の食文化についての理解を深めようと努力することは、広く「異文化理解への努力」に通じていると思うのです。

食はいつの時代も【世代を超え、国境を越え、人と人との距離を縮めてくれる。人と人とのあたたかい関係をゆるやかに育んでくれる。】そんな最高のエッセンスであると思っています。
だからこそ私は、フードアナリストとして「日本の食文化の発展に貢献すること」そして「食を通じてのコミュニケーションの幅を広げ、無数の食卓での笑顔や幸せに貢献すること」を目標として活躍していきたいと強く思っています。