野菜のお母さん

藤田にこ『食ッキング・食っきんぐ』

モントリオールに、本格的な雪が降り始めています。その雪を見て慌てて思い出したかのように、急に街中のイルミネーションが、豪華に、厳かに輝き始めています。何と言っても1年で最大のイベント、クリスマスが近づいているからです。

愛する家族、親戚と共にゆったりと過ごすクリスマス。このクリスマスの灯りを瞳に映しながら、私が思いを馳せるのは、アフリカに単身赴任中の夫、日本にいる両親、そしてこれまでにご縁をいただいた、日本、欧州、アフリカ、アジア、アメリカに散らばる、大切な方たちのことです。色々な土地を転々としてきた私の「心のふるさと」は、こうした大切な方たちそのものなのです。

私の「心のふるさと」の中で、「野菜のお母さん」と密かに呼んでいる方がいます。御歳75歳。お会いしたことさえないその方の、これまたお会いしたことのない娘さん、Akieさん。Akieさんは、某SNSでの共通の友人を通じて知り合った、同じフードアナリストのお仲間です。

そのAkieさんが、ある日ブログにアップされたお写真は、見事に美しいお花ばかり。どうしてこんなに美しいのだろうと思ったら。そのお花は、Akieさんのお母様が丹精こめて育て上げた、畑の野菜の花々だったのです。偶然にも、私が一番好きな野菜、絹さやが、これまた最も魅かれる色である、うす紫色の花をつけていました。ブロッコリのお花を見るのも初めてでした。こんな、はちきれんばかりの命が閉じこもったつぼみを私は食べていたのだと知って、言葉を失くしました。Akieさんのお母様の作ったお野菜を一度食べてみたいと強く思いました。そのお写真が、お天道様の光を受けて、あまりに活き活きと、神々しく輝いていたせいでしょうか、お写真を見るだけで涙が出てきたのです。

その後Akieさんからお母様のお話をうかがいました。ご主人様を早くに亡くされ、ご苦労も多かったお母様。野菜作りが大好きだったご主人様のご供養の気持ちをこめて、野菜作りを引き継いで始められました。14年間、土と向かい合い、野菜の命を育てることで、悲しみを励みと変えていらしたのです。やがて新しい土地へ、新しい人生へと足を踏み入れたお母様は、そこでも引き続き現在まで8年間、畑を、野菜を育てていらっしゃいます。多くを語らないお母様は、心の内に溢れる思い・愛情を、勿論Akieさんに、そして畑の野菜たちにと注ぎ続けていらしたのです。そうした経緯を知るにつれ、お母様がこれまでの一瞬一瞬を、どんなに大切に重ねて生きていらしたかを理解しました。どうして今、咲き誇る花々や瑞々しい野菜たちに囲まれているのか。Akieさんの表現をお借りするなら「花や野菜の神様に導かれて」いらしたからに他ならないのです。私が思い描くお母様のお姿は、畑にしゃがんで、一心不乱に野菜や花の命と対話する「母」の姿でした。できることなら、その隣に一緒にしゃがんで、お母様のお手元と横顔を眺めていたい。そんな気持ちになりました。

頻繁に祖国の日本へ帰ることはできないけれど、こうして心のふるさとが膨らみ続ける人生を送っている私は、なんて恵まれているのだろうかと思います。そんなふるさとの「母なる大地」に、今日も「野菜のお母さん」が、せっせと新しい命を育み続けていることでしょう。私ごときが僭越なのですが、「ありがとうございます」と言わずにはいられません。

最後に、Akieさんが教えてくれた、母子の電話越しの会話をお届けします。ほら、絹さやの優しい美味しさが、もう伝わってくるでしょう・・・?
Akie「お母さんの絹さやの写真、Akieのブログに載せたんよ。そしたらね、見てくれた方が感動なさって涙が出んしゃったってよ。その方はね、絹さやが大好きらしいとぉ」
母「そうね、ありがたいねぇ。うれしかぁ。その人に食べさせたかぁ、お母さんは。いっぱいできとるけん、宅急便で送っちゃるよ」
Akie「カナダやもん、宅急便は無理やねえ」
母「いつ、帰ってきなさるとぉ?」
Akie「う~ん、わからんけど、海外に長くおんしゃーと」
母「そうねえ、きっと、はよう帰ってきなさるよ。そしたらお母さんの野菜ば、送っちゃるけん」
Akie「うん、そうしようね」