四季を五感で受けとめる人を育む国、日本 松依五三

日本フードアナリスト協会 松依五三

『春はあけぼの』という冒頭の一文で有名な随筆『枕草子』は今から一千年ほど前の平安時代中期に清少納言が書いた有名な随筆ですが、当時の『食』についての記述も同時代の文献に比べて多く、色鮮やかに想像できるほど、目に映る景色や貴族生活を、的確な指摘で簡潔に描写していることで知られています。

その四十二段『あてなるもの』-上品で美しいもの、という一節にはかき氷やいちごが登場します。新しい金のお椀にいれたかき氷に甘茶をかけたようすや、先を見通すという真紅のいちごを愛くるしい幼子が食べるようすを美として確かに観止め書き留める力が、はるかな時を越えて今日まで感銘を伝えています。

私たち日本人の生活は今日でも、旧暦の春一月の立春から始まり大晦日までを終わりとして区切りあてはめながら身の回りの風景を見渡し、命あるものすべての一生にもなぞらえたり、生命や世界の誕生から終焉までの変化に富んだありさまに結びつけたりすることがしばしばあります。緩やかな気温変化の両極の冬には雪が降り凍えるほど寒くなる一方、夏には吹き上がる汗が止まらなくなるほど暑く草木が生い茂り生命力が漲るという、ほどよい四季の変化に恵まれた国だからこそしみじみと味わえる感覚が培われるのだといえるのではないでしょうか。日本の四季のような移り変わりのない地域では、一千年以上の歴史と伝統を持ち、豊富な実りや地味に恵まれているカンボジアやタイのような国であっても、衣替えを考える習慣はあまりないようです。

一年が雨季と乾季に大きく分けられるこれらの東南アジアの地域にも、寒い時期と暑い時期はあります。三月から八月頃の雨季の暑い日には炎天下では五十度近くまで気温が上がり、十二月から二月頃までの乾季には夜が肌寒くなります。雨季は毎日短時間に集中して滝のように雨が降り、大地を潤して穀物や果物がたくさん実り、乾季には地割れがするほど大地から水分がなくなります、けれども、平地で気温が十度を下回ることはありません。寒いといっても雪を見るほどではありませんから、水の確保以外に気を配ることも少なくなるのでしょう。耐寒のための日常生活の備えはほとんどありません。

必要は発明の母といわれるとおり、どうやら人間の五感というものは、摂氏零度くらいから四十度くらいの間の気温で生活することで、生活様式に変化が伴うよう必要に迫られ、細やかに自然界の変化を観察することに敏感になり、結果として生活文化の幅と深みと知恵とを育むことに至ったのではないでしょうか。

五感を鋭くして季節の色合いや香り、響きの変化を細やかに観察しながら思いやり、受け入れてきたことによって、心豊かに表現する文化も培われてきました。

平安時代を生きた清少納言が記した随筆にみる薫り高く世界に誇る当時の人々の暮らしぶりについての表現も、悠久の昔からこのような自然環境に恵まれていたからこそ得られる特性を先人から享受し代々受け継ぎ、さらに研ぎ澄ますことで昇華させることができました。翻って近年の私たちの生活を考えるとき、ひところすっかり忘れ去られていたこの風土に即した暮らし方が再び見直され、空調に守られた屋内ばかりで生活するような人工的で変化のない暮らし方から、以前はごく普通であった四季に沿った生活を振り返り改めるような傾向が勢いを増しているようですが、この流れは、日本の特性をよりよく活かすためにも、また自然界の一員としての自覚を取り戻した人間らしい健康的な生活を取り戻すことになり、省エネルギーにもつながるという観点からも好ましいことではないでしょうか。

地球上での日本の地理的位置と気候風土は、未来の人類が人間らしい感覚を磨くための重要な場としても、大変恵まれた環境にあるようです。

私たちは、世界中のどこに暮らす人々よりも恵まれた環境の中で五感を磨きあげながら、よりよく『食』というものについての知識を習得し、四季の空気間と共に深く味わう世界の食文化をリードすることができる、しあわせな素養に溢れた国柄に育まれているといえるでしょう。